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コラム

ジャパンレッドの町に残るスリーダイヤ

2026.3.13~
コラム
ジャパンレッドの町に残るスリーダイヤ
日本遺産「ジャパンレッド」発祥の地―弁柄と銅の町・備中吹屋―の吹屋は、かつて赤色顔料の弁柄と銅で繁栄した鉱山町で、江戸時代後期から明治時代の歴史的な建造物が現存する町並みです。



このような歴史ある町並みのなかで、とある有名なマークが残っています。


                  とあるマークが残る山神社跡


                  三菱マークが刻印された鳥居



                  三菱マークが刻印された玉垣


なんと、三菱グループのロゴマークです。

吹屋の千枚地区にある山神社跡の鳥居と玉垣に刻印されており、はじめて見た人は「なぜ?」「どうしてここに?」と思われることでしょう。

その理由は、日本遺産ストーリーに認定された吹屋の鉱山の歴史に深く関係しています。

吹屋の鉱山は、大同2年(807)の開坑を端緒として、昭和47年(1972)まで約1,200年の歴史があり、主要な鉱山である吉岡銅山を中心に、地元有力者や京都大坂の商人等が鉱山経営を請け負っていました。

明治時代になると、ある会社が吉岡銅山の経営権を獲得します。
それが岩崎弥太郎率いる三菱商会(後の三菱グループ)です。

明治6年(1873年)に、三菱商会は最初の金属鉱山として、吉岡銅山を買収し、鉱山経営に着手しました。先進技術を取り入れ、近代的な鉱山経営を行ったことで、産銅量が増加、西日本有数の銅山に成長しました。


                   明治時代頃の吉岡銅山(奥)


この頃に、三菱が鉱山の神様を祀っていた山神社の願主になったとされ、明治25年(1892)には、境内外周を囲む石造りの玉垣が寄進されており、三菱のマークが刻まれています。

現在、山神社跡には、旧本殿だけしか残っていませんが、今でも地元の人から「山神さま」と呼ばれて親しまれています。

                

                   山神社跡の旧本殿

日本全国でも、このように三菱マークが残された神社は珍しいのではないでしょうか。

さらに、このほかにも、三菱マークが刻まれた資料が吹屋に残されています。

それは、吹屋の町並みから徒歩3分の位置にある、銅栄寺というお寺で発見された梵鐘です。銅栄寺は、もとは小さな観音堂でしたが、明治28年(1895)に、当時の鉱山長が銅山盛業を祈願したところ、銅山経営が盛んになったことで、銅で栄えた寺という意味で「銅栄寺」と呼ばれるようになったと伝えられています。

この銅栄寺で近年発見された梵鐘は、鋳造後に陰刻されたと考えられる「吉岡鑛山」と三菱のマークが確認でき、銅山と三菱のつながりを示しています。



                       銅栄寺


梵鐘は、日本遺産ガイダンス施設である日本遺産センター(旧吹屋小学校1階)に展示しています。
ぜひ日本遺産センターへご来場の際にはご見学ください。


                       日本遺産センター


                       銅栄寺の梵鐘


このほかにも、吹屋地域には、鉱山の歴史を伝える見どころがたくさんあります。
ぜひ現地でかつての鉱山町の繁栄を体感してみてください。
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